クラーベについて1

以下は、Clave (ritmo) - Wikipedia, la enciclopedia libreの試訳である。いずれ画像なども自分で作って完成させるつもりだ。本場の言葉であるスペイン語の記事からクラーベ宇宙のエッセンスを汲み取ろうとした次第。スペイン語あまり分からないから疲れた。けど楽しいな。

たぶんどれも常識なんだろうとは思うが、いろいろと新しい知見が得られた。

個人的に興味深かったところとしては、Baqueteoバケテーオというダンソンに使われるリズムについての言及がある。どうやらCinquillohttp://en.wikipedia.org/wiki/Cinquilloという332っぽいリズム「タンタタンタトン」の後に「タンタンタントン」と八分音符を4つつけたものがbaqueteoらしい。もともと羊毛を叩く、苛立たせるとかそういう意味の言葉のようだ。分からん。まあ3-2ですよねー、という感じで。

英語版のclaveの記事Clave (rhythm) - Wikipedia, the free encyclopediaが充実しているようなのでそのうち読む。「3-2だの2-3だの知るか!黙ってやれ!byキューバ人」的なことが書いてある。

クラーベ(リズム)

クラーベとは、打楽器クラベスで奏されるリズムパターンである。キューバ音楽、特に様々なキューバ伝統音楽における特定のリズムパターン、またパターンを支配する基礎的なルールのことを言う。クラーベは歌を含むすべての楽器を調和させ、道しるべとなる役割を持つ。また、旋律・和声楽器が演奏するリズムと、クラーベのリズムとの間には強固な対応関係がある。クラーベと楽器の間の対応関係が見られない場合(“mal tocada下手な”クラーベ、もしくは“fuera de lugar間違っている”クラーベとも言われる状態)を、“clave atravesada, montada, cruzada 雑種のクラーベ”などと呼ぶ。

目次
1.構造
1.1ソン・クラーベ
1.2ルンバ・クラーベ
1.3クラーベ・アフリカーナ
1.4その他

1.構造クラーベのリズムは二拍子、二小節で構成され、二つの部分に分かれる。二つの部分は3つの音を含む“fuerte 強”、二つの音を含む“débil 弱”である。クラーベに様々な種類がある中で、もっとも演奏されるのは、あらゆる旋律・リズムに容易に馴染む、ソン・クラーベとルンバ・クラーベである。

1.1ソン・クラーベ
ソン・クラーベはソン、ソン・モントゥーノ、グアラーチャ、その他で使用されるリズムであり、サルサの背骨とされる。以下にその構造を示す。<楽譜>
最初もしくは前半の部分は“強”であり3音で構成される。次もしくは後半は“弱”であり2音で構成される。この順序のクラーベを“3-2”と呼び、ロマンティックなスタイルのサルサでよく使われる。また、順序を逆にした“2-3”クラーベもまた可能である。“2-3”クラーベは、例えばサルサのスタイルの一つ“マンボ”で聞かれる。<楽譜>
“3-2”、“2-3”という名称は、演奏者の理解を助けるため、キューバ国外で使われ出した。一方のクラーベで曲を始め、途中でもう片方のクラーベに移ることができる。ソン・クバーノは、ヨーロッパの古典音楽の形式であるロンドを起源に持つダンソンから生まれている。そのため打楽器奏者は曲の一部で、リズムの変化に対してbaqueteo(ダンソンのリズム)が合うように演奏するか、でなければ余分な小節を加えてクラーベの順序を保った。Arsenio Rodríguez、Ignacio Piñeiroといったソン奏者(sonero)・ルンバ奏者(rumbero)は、“2-3”“3-2”の両クラーベを混ぜず常にクラーベの順序を保つ伝統を体現している。

1.2ルンバ・クラーベルンバ・クラーベ、またの名をクラーベ・ネグラは、ソン・クラーベとはリズムにおいて一音のみ異なる。ルンバの基本となる3スタイル(guaguancó, columbia y yambú)、conga、同様にtimbaまたはサルサ・クバーナ・モデルナ(modern cuban salsa)で聞かれる。<楽譜>
また、“2-3”クラーベで演奏することも可能である。<楽譜>
ルンバ・クラーベを演奏し続けることは、特に慣れていない者にとっては、ソン・クラーベよりも難しい。場合によって早いテンポのサルサに、短いルンバ・クラーベのセクションまたは間奏を挟むことがあるが、常にソン・クラーベに戻る。

1.3クラーベ・アフリカーナクラーベ・アフリカーナ、または6/8クラーベは古く、起源はアフリカ西部にある。常に3-2の順序で演奏される。<楽譜>

1.4その他クラーベ・デ・ボサは、ボサノバとサンバに使われた用語である。50年代ブラジル音楽で盛んに用いられた。<楽譜>

クラーベの機能を持つ他のリズム:
・バケテーオ、ダンソン・クバーノで使われるリズム
・パチード・アルト、サンバ・ボサ・ボサノバなどのブラジル音楽に使われるリズム
・クア、ボンバのリズム(プエルトリコの音楽)。

これらのリズムの起源はアフリカ音楽のポリリズムにあり、アフリカ音楽にはクラーベ音楽の例が豊富に存在する。

参照


外部リンク
http://pertout.customer.netspace.net.au/lclaveac.htm
Geocities has shut down
Latin rhythms - Clave
http://www.timba.com/fans/clave_debates.asp

GFDLに基づくリンク
GNU Free Documentation License v1.3 - GNU Project - Free Software Foundation
Clave (ritmo) - Wikipedia, la enciclopedia libre
Historial de «Clave (ritmo)» - Wikipedia, la enciclopedia libre

菅原克己の簡単な年譜

ハンバート・ハンバート『シングルコレクション 2002-2008』asin:B003UDP9KKる『ブラザー軒』は菅原克己の詩に高田渡が曲をつけたものだ。久々に聴いて思うところ多々あり、詩人・菅原克己についてネットで調べられる範囲で調べ、年譜にまとめた。そのうち詩集も読もうと思う。『菅原克己全詩集』isbn:488866367X

1911年
1月22日宮城県亘理郡亘理町に生まれる。亘理町は仙台からやや南、阿武隈川のそば。三歳のときに仙台に引っ越している。父・新兵衛は宮城師範を出て、小学校や女学校の校長を務めた謹厳な教育者である。父は子どもと親しく接することは少なかったが、七夕の頃になると、家族全員をひきつれて仙台の繁華街の東一番町というところによく出かけた。

1923年
その父が校長室で急死。母親の実家を頼り栗原郡一迫に転居、さらに大震災後の東京に移り住む。

1926年
家族で雑司ヶ谷の借家から練馬南町一丁目に移る。

1927年
教師を目指して豊島師範学校(後に東京学芸大学に統合される四つの師範学校の一つ)に入学。

1928年
十七歳、東京豊島師範学校生の克己は、詩を書く姉(詩人 高橋たか子)の影響もあって、詩書に親しむ。この頃、家の近くにあった「練馬神の教会」で日曜学校の手伝いをしたとき、生徒の中に後に彼の妻となる杉本ミツがいる。

1930年
師範学校四年次、不当に退学させられた友人の復学を訴えストライキを打ち、警察に逮捕され退学処分を受ける

1931年
日本美術学校入学

1933年
日本美術学校除籍。後に銀座の伊東屋宣伝部で働く。

1934年
党籍のないまま日本共産党機関紙「赤旗」の謄写版印刷に携わる。共産党の非合法活動に深く関わっていく。

1935年
検挙され半年間留置され、拷問を受ける。心臓脚気を患い、起訴保留で釈放

1938年
杉本ミツと結婚。西巣鴨二丁目に居住

1947年
日本共産党入党

1950年頃
池ノ上近辺に居住

1951年
戦前、戦中、戦後の詩作品を第一詩集『手』として出版。

1958年
第二詩集『日の底』(『ブラザー軒』収録)

1962年
日本共産党除名

1980年
新日本文学会の日本文学学校(東中野)の講師をつとめ、中野重治長谷川四郎佐多稲子らとともに活動する。

1988年3月31日
脳梗塞パーキンソン病の悪化により入院先の都立北療育医療センターで死去。晩年は調布市の佐須町に居住していた。

2001年9月
妻ミツ、自宅が全焼した際に負った火傷により死去

寺町谷中、さんさき坂の途中に全生庵という山岡鉄舟開祖の寺がある。北村西望作の金色の観音像の足許、納骨所に菅原克己と妻ミツが眠っている。全生庵では、毎年4月の第一土曜日に「げんげ忌」という、菅原克己を偲ぶ会が催される。

菅原克己の姉である詩人・高橋たか子の、1926年頃の菅原家の様子を描写した文章によると、「まさ」という名の妹がいたようだ。これが『ブラザー軒』に出てくる夭折した「妹」かどうかは分からない。
「 私たちは、雑司ヶ谷の古い借家から嬉々として、新築の家に引越した。
早大に行っていた夫、小学校の教師の私、豊島師範生の克己、
小学生のまさ、竜三、みどり、それに孫の三歳児の光郎の大家族を引き連れ、
母は、ゆったりと太り、気品に満ちているように私には見えた。
一年後に、私のすぐ下の妹のきよが、宮城県塩釜小学校から転任して、
東京高田第二小学校の教師となって加わったので、家はいよいよ賑やかになった
(長兄の千里はその頃はまだ東京市内で独立して働いていた)。
 学校の仕事でおそくなり、夜になって江古田駅に降り、一本道の入口に立てば、
我が家の部屋部屋に燈がともり、またたき、輝き、何やら賑やかに立ち居する人の
影まで見える。私は飛ぶように一本道を急ぐ。「楽しき我が家」が実感として胸に溢れた。
 練馬の家、その家は、実に我が母そのものであり、私達きょうだいに、
また、私の子供らに此の上もなく美しい幼時の思い出として鮮烈に残ったのである。」

高橋たか子『詩と散文 草木の窓』所収「普請好き(一)」より

参考URL
菅原克己 - Wikipedia
http://www.smt.jp/honepro/pdf/7901.pdf
:: 菅原克己全詩集 | mojabieda Blog ::
文壇高円寺: ブラザー軒
嬉しい出会い | モノディアロゴス
kouki
「高橋たか子」をめぐる出来事 : 空にパラフィン
菅原克己さんの詩 ( その他テレビ ) - 空の青 - Yahoo!ブログ
http://homepage1.nifty.com/B-semi/library/koiutasyuui/18sugawara.htm
詩人菅原克己のプロフィール ( 詩 ) - ポエトリーカレッジ塩竈 - Yahoo!ブログ
安藤文隆のエッセイ